「最期の夕日」



娘のリプリーの花嫁姿を夫婦で見届けた数日後の深夜。

ベッドの中で愛する妻・サクラを後ろから抱きしめる。


「久々に二人っきりの生活になったねえ、サクラ。」

「・・・そうね。少し、寂しいわ。」

「最初は寂しかったけど、俺はサクラとまた二人っきりになれて嬉しいって最近思い始めたんだ。

サクラは?俺と二人で嬉しい?」

「何言ってるの、今さら。・・・少し喉が渇いたわ。」


そう言ってサクラはベッドから起き上がると、キッチンへと向かった。

相変わらず照れ屋だなぁ。可愛いなぁ、もう。



ずっと好きだったサクラと俺が結婚したのは、もう11年も前になる。

その間に娘のリプリーが生まれて、先日遂に結婚して家を出て行った。



色んなことがあったなぁ・・・



これまでの思い出を振り返って目を閉じた、その時・・・



バタッ・・・



「・・・サクラ?」


キッチンで倒れているサクラを見つけると、その体は小刻みに震えていた。


「サクラ!サクラ!?」






夜明けと共に“サクラ・カンナバーロ危篤”の報せが放送されると、

次々と見舞い客が家に訪れた。


・・・サクラに、最後の挨拶をするために。


「帰ってください!サクラは危篤なんかじゃありません!

すぐに元気になりますから!今日は静かに寝かせてあげてください!」

俺は玄関のドアに張り付いて、見舞い客を片っ端から追い返していた。



だって、あんな辛そうな顔のサクラ、初めて見たから

ほとんど弱みや辛さを表に出さない人だから


あんな顔を見たら


恐くなって


この状況に抵抗していないと


まともに立っていられない


呼吸すら出来ないんだ





「お父さん・・・」

家の中から玄関の扉を小さく開けて、娘のリプリーが顔を出した。

「お母さんが、お見舞いに来てくれた人達に会いたいから、もうやめてって・・・」



サクラ自身は もしかしたら

もう受け入れているのかもしれない

ここのところ、ずっと体調が悪そうだった

すぐに疲れてしまうと言って、早目に家に帰ってくることも多くなった



でも俺は

こんな日が来るなんて

考える事さえ


想像することさえ恐すぎて


拒否していたのかもしれない





「・・・すみませんでした。

みなさん、サクラに、声をかけてやってください・・・」



だって今の俺は




“サクラが死ぬ”




その事実を受け入れようとするだけで 震えが止まらないんだ








見舞い客の人達が帰った頃には、日が沈み始めていた。


「サクラ、汗拭くね。寒くない?」

「ええ・・・ありがとう・・・」

「もう・・・日が暮れるね。」

「・・・うん。」

「・・・・・・」

「ねぇ、ミンソン。」

「なに?」

「…夕日が見たいわ。…ザカーの塔の夕日。」

「でも、サクラ…寝てないと…」

「お願い。…連れていって。」




サクラの体調が良くなる可能性が決して高くないことは分かっていた。

だったらせめて、サクラの望むことは全て叶えてあげたい。



俺が誇れる唯一のことは


いつだって全力で


サクラを愛することだったはずだ。




「…わかった。行こう、サクラ。」






俺がずっとサクラを見つめてきた場所


俺とサクラの物語が動き出した場所


俺が初めて、サクラへの想いを伝えた場所



全部、あの場所から始まった



ザカーの塔から見える景色は

いつだって俺たちを包み込んでくれた



「サクラ、夕日が綺麗だよ。見える?」

「…うん。綺麗ね…あの頃と同じ。」

「…また、見に来ようよ。一緒にさ…」

俺がそう言うと、サクラは何も言わずに小さく微笑んだ。







どれくらいそうしていただろう。

気が付けば夕日はすっかり沈んで、月が海面に映っていた。



「サクラ、そろそろ帰ろうか。寒くなるよ?」

サクラはゆっくり横に首を振ると、小さな声で言った。

「…ねぇ、ミンソン…」

「なに?」

「もう一つ、お願いがあるの…」

「なに?何でも言って。俺、サクラのためなら何でもするから」



サクラは少し間をあけると、小さく微笑みながら言った。



「…キスして…?」



「……なんで…サクラ…

今まで一度だってそんなこと言ったことないじゃん…!

どうして今、そんなこと言うんだよ…!」


「…お願い。」


「どうして……今………」


「……」


「…なんで……」





初めてキスをねだってくれた愛しいサクラ。

ちょっと意地っ張りだけど

照れ屋なところが本当に可愛くて

誰よりも愛してる



でも


サクラのその“お願い”は


叶えたら全てが終わってしまいそうで、恐かった。






「愛してるよ、サクラ…」


震える唇で口付けると、


少し冷えたサクラの唇が、照れくさそうに口付け返してくれた。




まるで、初めてしたキスみたいに、胸が締め付けられた。




「私も…愛してるわ。ミンソン…」




「…へへっ、…サクラからそんなこと言ってくれるなんて…今日は初めて尽くしだなぁ…」

「…もぅ、泣かないの。しっかりしなさい。」

「サクラも泣いてる。」


お互いぽろぽろと溢れる涙を見て微笑み合うと、

サクラの体から、すっと力が抜け、支えていた俺の腕に重みがかかった。


「!サクラ!?」


「ミンソン…今まで……」


「サクラ!無理にしゃべらないで…」


「…今まで…本当に、あり…がとう……」


「やめてよ…!そんな、最後みたいな…言い方……」


「私、素直じゃないから…今、まで、…言えなかった、けど…

あなたに出会えて、本当に、幸せ、だった…」


「……!!…サクラぁ…!

…いやだよ!もっとずっと一緒にいたいよ!…俺をおいて逝かないで…」


「泣かないで…笑った方が…素敵よ…?」



そう言ってサクラが目を閉じると、

長いまつ毛についた涙が落ちて頬を伝った。




「………っ!サクラ!?サクラ!!

目を開けてよサクラ!!」



いくら抱きしめても抱きしめ返してくれない



「もう一度、笑ってよ!

バカな俺を叱ってくれよ…!」



まだサクラの手も、頬も、唇も、温かいのに




「愛してるって…言ってくれよ……

ねぇ…サクラぁ……」




いくら呼びかけても、応えてはくれない。




サクラはそのまま俺の腕の中で息を引き取った。




享年26歳。




俺の最愛の人、サクラは

短かったその生涯を閉じた。







「お父さん、大丈夫?」

翌日、娘のリプリーが心配そうな顔で家に来ていた。


「…ああ。サクラに怒られないように、ちゃんと喪主を務めなきゃな。」

「うん…」


サクラの葬儀がまもなく始まる。


あんなに凛とした生き方をしていたサクラを見送る代表として

俺は、みっともない姿を見せられないと思った。




-----私を悩ませた罪は重いわよ?一生かけて私を幸せにするように!・・・約束して。


-----・・・まったく、かなわないわね


-----私がついてないとほんっとにダメなんだから、あなたは


-----私も…愛してるわ ミンソン



いつだって、弱虫で泣き虫だった俺の背中を押してくれた人


サクラの声が今も聞こえるから




-----泣かないで…笑った方が、素敵よ?




俺は

あなたのために 笑っていようと思う



ねえ、サクラ

俺、初めてあなたに会った時と比べたら

少しは強い男になれたかな?



俺も

あなたに出会えて 本当に

世界一、幸せだったよ









こっそりあとがき

サクラ・カンナバーロさん追悼創作でした。

ミンソンとサクラのカップルは
二人の出会いから結婚、ご懐妊まであちこちで創作にしてきましたが
本当にたくさんの方に愛していただいたカップルでした。

そんな二人の別れは比較的早い方だと管理人として知っていたので
この創作のイメージはずっと頭にありました。
(本当は漫画にしたかったんですけどね・・・時間とか体力とか技術的な問題で無理でした(汗))

ミンソンは、サクラが亡くなったら気が狂ってしまうのではないかと思うほど
サクラへの想いは分かりやすく強いものでしたが、
今回は葬儀ではきちんと喪主を務めたようです。

というのも、“危篤状態の苦しそうなサクラ”を見ている時の方が、
最もその現実に逆らいたい時なのではないかと思ったのです。
葬儀の時は逆に、まだその現実を受け入れきれていない状態なのではないかと。
(身内を失った事のない私が想像で書いているので、
“いやいや、そんなもんじゃない!”とご反論もお有りとは思いますが;)


だから、最後の二人の会話の時にミンソンはボロボロ泣いているんですが、
最後はわりとあっさりしてしまいました。
おそらく葬儀から数日した時に改めて“サクラがいない現実”を見て
それを受け止めなければならない苦しみが、彼には待っているんだと思います・・・。
まあ、ミンソンのそんな性格を理解しているので、
先立っていったサクラお姉ちゃんも辛かったと思いますが・・・

これまで、実の父の死、兄の死、(母親の死亡時期に関しては未確認)
そして今回の最愛の妻の死と、比較的早い段階で家族を亡くしてきているミンソンですが、
これを乗り越えて少しでも強く成長してくれたらと思います。

ありきたりなまとめ方ですみません;






2010/08/16