もう一度、恋を。
第1話「私の太陽」



「さよなら、エバゲニア」

そう言って去っていった、“恋人”の彼。


彼の太陽のような笑顔は、もう見られない。


でもそれは仕方のないこと。


彼の幸せのためだもの。


何度もそう自分に言い聞かせた。

もう一度彼に会った時、笑顔でいられるように

彼が不安にならずに済むように、私は前に向かって歩かなきゃ・・・




「・・・やっぱり、お前が作った料理が一番だったな。」

そう言って亡くなった、最愛の夫。


もう、二度と会うことは出来ない。


彼の事は忘れて、はやく、前に進まなきゃ・・・




そう自分に言い聞かせる日々が続く。

だけど言い聞かすだけで、実際に前には進めずにいた。


街に出るとサミやディラン君との想い出が蘇って、苦しくなる。

家に一人でいても、何も変わらないと分かっていても

足が重くて動かない。

だから家から出ることもあまりなく、心に穴が開いたまま、一人の時間を過ごす。



そんな生活をしていたある日の事だった。

彼に出会ったのは・・・



「あれ?エバちゃん。久しぶり。」

“エバちゃん”なんて子供の頃の呼び名で私を呼び止めたその人は、

子供の頃と変わらない笑顔をしていた。

「あら、元気?久しぶりね。」

「こうしてちゃんと話すのはサミ君の葬儀以来かな。元気だった?」


“サミ”


その名前を聞いて心がずしっと重くなるのを感じた。


「えぇ・・・まぁ・・・」


彼にとってサミは身内に当たるから、良く見知っていたのだろう。

何気なく出た彼の名前に、胸が苦しくなる。


「いつも職場で会ってるはずなのにな。

ウルグ員とのコミュニケーションが少なくなったのか?うーん、ウルグ長失格かな、俺。」


そう言って苦笑いする彼は、私の所属するバハウルグのウルグ長。

持ち前の明るさとそこに隠された真面目さで、絶大な信頼を得ている。

真面目に悩むその表情がおかしくて、思わず笑みをこぼしながら私は言った。


「仕方ないわよ。忙しいんでしょう?

大丈夫よ。皆あなたの事を信頼してウルグ長に就いてもらってるんだから、心配しないで。」

「そうかい?まぁ、それなら良いんだけど。」

そう言ってあっさりと笑顔を取り戻した彼。

この明るさが、人気と信頼の基なんでしょうね。


「俺のことよりエバちゃん、君が元気出せよ?」

「え?」

「笑顔が硬い。笑うならちゃんと笑う!・・・泣きたいなら、ちゃんと泣かなきゃ駄目だよ。」


下手に笑顔を作っていることを見抜かれて、少し焦りを感じた。

ぽんっと私の肩を叩くと、励ますような、見守るような表情をする彼。

・・・泣きそうな顔、してたのかしら・・・


「まぁ、人生色々さ。

とにかく、いつもの君の笑顔の方がずっと素敵だよ。早く元気になってな。」

軽くウインクをして明るく笑う。


若い頃、プレイボーイで有名だった彼。

私の友人も何人も泣かされたわ。

『あいつは本気で人を好きになったりしない』なんて、ひどい事も言われていたわね。



でも、亡くなった最初の奥さんに出会ってからというものの、

あまりにも急に誠実になったものだから『やっと人を愛する事を知ったみたい。』と皆そろって苦笑いしていたっけ。


そんな彼も今は再婚した奥さんにも先立たれ、ひとりぼっち。



彼の後ろ姿が遠ざかる。



「・・・ジョン君!」



「ん?」



気がつくと、私は彼に声をかけていた。



「えっと・・・」



自分のとった行動に驚き、言葉を詰まらせる。


「良かったら、うちに夕ご飯食べに来ない?・・・一人じゃ寂しいでしょ?」


少し驚いた表情をしてから、にこっと笑って

「美人のお誘いは断れないな。」と冗談めかして答える彼。


彼の人懐こい笑顔は、まるで乾いた心を癒してくれるような、

不思議な力があるような気がした。






彼、ジョン・ポーラスは私の母の弟、つまり叔父にあたる。

けれども年がそれほど離れていないので、私は「ジョン君」と呼んでいた。


幼い頃から元気を形にしたような彼と、引っ込み思案を形にしたような私。

親戚でなかったら一緒に遊んだりすることもなかっただろうし、

数十年たった今、こうして一緒にいることもなかったかもしれない。




「ねぇ、ジョン君は亡くなった奥さんのこと思い出す時、ある?」

「ん?どうしたんだ、急に。」

野菜炒めを満足げにほおばりながら、ジョン君は質問を返した。



「近頃よく思い出すの。死んだサミのこと。

最近、なんだか余計に一人の時間が寂しくなって。

これじゃいけないって思うんだけど・・・」


短い時間にすっかり和んだ空気がそうさせたのか、

私はいつのまにか自分の話を始めていた。


ふっと真面目な表情になる彼。


「忘れようとしているのか?サミ君のこと。」

「・・・忘れようと思ったこともあるわ。もっと前向きに生きなきゃって・・・

ディラン君を好きになったのもそんな気持ちが良い方向に進んだからだと思った。

だけど・・・私じゃ駄目だった。」



カチャカチャと食器の音が静かに響く。

私はそのまま視線を合わせずに話を続けた。

「ディラン君の事は、今の彼が幸せならそれで良いって思えるわ。

だけど、いざ一人になるとサミの事ばっかり思い出すの。

忘れようって、前に進もうって思うんだけど・・・」


ジョン君が私を見ているのが横目で分かる。

私は視線を合わせず、震える声で一言、付け加えた。



「・・・結局、忘れられないわ。」



口に運びかけたスープのスプーンを一旦皿に戻して、ジョン君が話し始めた。


「俺ももちろん思い出すさ。死んだエリスや、ミッチーのこと。

子供達ももう家を出て、それぞれ家庭を持って幸せに暮らしている。

父親としては幸せなはずなのに・・・正直、人恋しくもなることもあるさ。」


そう言うジョン君の瞳は、少しだけ潤んでいる。

気の強そうな眉を下げ、少し辛そうに笑顔を作る。


「・・・でもな、忘れようなんてこれっぽっちも思ったことはないさ。

彼女達がいたから今の俺がいるんだからな。

彼女達の分まで、俺が今笑っていられればいい。そう思うんだ。」

「奥さんの分まで・・・」

「あぁ。俺たちが亡くなった人たちに出来るのは

その人の事を忘れずに、幸せに生きることだと思うんだ。

それが最大の供養であり、お礼でもあるんじゃないか?

『ありがとう』って気持ちで毎日を送る事が。

・・・ちょっとクサかったかな?」


そういうと彼は、照れくさそうに目を細めて笑った。


私は、黙って首を横に振った。




暖かい湯気の立ちのぼるスープを口に運びなおし、

視線を皿に落としたまま、彼は言った。



「エバちゃん、料理上手だな。」


「・・・ありがとう。」





なんだろう、この心地よい雰囲気。


暖かい空気。


無意識に安らいでいる自分。




失ったと思っていた私の太陽は、

この胸の中と、


今、目の前にいる。




そんな気がしていた。